証人:原告 杉山正章
○16:10〜16:25 -主尋問-
質問者:原告代理人 水野弁護士
●16:25〜16:40 -反対尋問-
質問者:被告会社代理人 江坂弁護士
◎16:40〜16:41 -補充尋問-
質問者:裁判官
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○16:10〜16:25-主尋問-
原告ら代理人(水野弁護士)
甲A第61号証を示す
これはあなたがこの裁判所に提出された陳述書ですが,この内容は確認されて署名押印されたものですね。
そうです。
あなたはこのほかに,豊田労働基準監督署に出された書面あるいは聴取書等がありますね。
はい。
甲A第4号証の1を示す
これはあなたが署名押印された依願書に間違いないですね。
はい。
甲A第5号証を示す
これは豊田労働基準監督署で聴き取りがあったときの聴取書,これはあなたの署名押印に間違いないですね。
はい,そうです。
甲A第6号証を示す
これは豊田労働基準監督署長あてに出された陳述書で,あなたの記名押印に間違いないですね。
はい,間違いありません。
甲A第8号証を示す
ごの陳述書もあなたが作成されたものに間違いないですか。
はい,すべて聞違いないです。
甲A第10号証を示す
この上申書もあなたが作成されたものに間違いないですね。
はい,間違いありません。
あなたはST株式会社の取締役社長ですね。
はい,そうです。
STは,Tという会社が全額出資した会社で同杜の子会社ということですが,STの後継者として,あなたは心積もりしてみえたことはありますか。
はい。
だれを考えてみえたんですか。
当然,杉山貴紀です。
貴紀さんが薬学部に進まれたのも,将来はそういうことを考えてのことですか。
もちろんそうですけども,ほとんど90%は本人の意向です。
貴紀さんはスギヤマ薬品に入社されることになったんですが,あなたとしては貴紀さんにどういうことを期待されていたんですか。
私どもTは本社が某にあります。そこの会長の息子さんは帝王学を,私どもみたいな出先の社長の息子は一般的な顧客のニーズとか,例えば利益の上げ方とか,そういうものを勉強しなければなりません。そのために本人もそういうところを選んだと思います。
甲A第23号証,甲A第24号証を示す
これは勤務ローテーション表ですが,分かりますね。
はい。
これはそもそもどこに原本はあったんですか。
これは,貴紀が亡くなって,寮の荷物を長男と一緒に片付けに行きました。そのときに,貴紀の机の向かいのコルク状の展示板にビニールテープで張って,展示というかつるしてありました。
机の前の壁に張ってあったというものですか。
はい,そうです。
壁に直接張ってあったものなのか,そうでないのか。
ちょっとそこまで記憶ありませんけど,鋲か何かで留めて,ひもが付いてぶら下がっていたんだと記憶しております。
板に留めてあったんですね。
そうです。
それを自宅に持ち帰られたということですか。
そうです。
甲23と甲24の2枚ともそうですか。
そうです。
甲A第42号証の1の1,2,甲A第42号証の2の1,2,甲A第42号証の3,4を示す
これらはいずれも,あなたが貴紀さんに出された手紙や送られた本の表紙や中身ですね。
はい,そうです。
どういうことでこの手紙や本を貴紀さんに送られたんですか。
貴紀は先ほども2人の方のお話を聞いて分かっていただいてると思いますけども,とにかく永覚店が利益を上げられなければ,薬剤師も増やしていただけない,残業手当も付けていただけないということを,E店長から聞いておりました。 しかし,E店長をあれ程崇拝するくらい信じておりましたもんで,私今日までE店長がもう少し親身になって考えてくれる人だと思っておりました。というのは,E店長のことは,それこそお父さんに似てるから信頼できるということまで言っておりました。私はよく人間というのは信用はしても信頼はするなよということで言ってあったんですけども,それでもなんであんだけあれしたのか知れませんけれども,とにかくE店長はE店長はということで,本当に親兄弟みたいな信頼関係があったと私は思っておりました。
そういう貴紀さんに,いろいろあなたとしては業績を上げるにはどうすればよいかということで,資料を送ってあげていたんですね。
そうですね。私の仕事を考えながら,また貴紀の仕事を考えながら,顧客のニーズ等々,要するにお客さんの心をつかむにはこうしたらいいよとか,そういうアドバイスは常にしておりました。
ところで,貴紀さんが亡くなった後,あなたがE店長に最初に会われたのはどこでしたか。
藤田保健衛生大学病院の待合室でした。
そのとき,E店長はあなたに対してどういうふうなことを言っていましたか。
E店長は,私と婚約者のTが2人で話していたところに後から来たわけですね。そのときに,私がもう少し気を付けていればこんなことにはならなかったど非常にすみまぜんということで,涙を流して私に訴えておりました。
そのときに,お母さんの杉山ふじ江さんがE店長に何か辱ねたことはありますか。
そうですね。それからしばらくして女房と長男が来て,それで女房がたしかE店長に聞いたのは,貴紀は大分やせていましたねって言ったと思います。
それに対してE店長はどういうふうに言っていましたか。
分かっていました。私がもう少し気を付けてあげればこんなことにはならなかったということで,涙を流しておりました。
甲C第3号証,甲C第5号証,甲C第7号証,甲C第8号証を示す
これらはいずれも貴紀さんの遺品の返還を求める言面ですね。
はい。
貴紀さんの遺品については結局返還されましたか。
されていません。全部ではありませんけど,本を5冊だけ返していただいております。
シャチハタの印鑑は返ったかどうかはどうですか。
返していただいておりません。
先ほど,遺品の問題について証人尋問をこの場で聞かれていたと思うんですが,どういう感想ですか。
非常に残念です。私どもにとっては遺品というのは………貴紀が生きていた最後の印なんですよ。それをどこ行ったか分からないような返事をされたんじゃ,とてもたまりません。
薬剤師を2人配置するという届出を豊田保健所にしながら,貴紀さん1人しか現実に配置されていなかったという点については,どのようにあなたは考えておられますか。
私も扱っているのが薬品です。薬事法のこと等々は勉強しております。常日ごろから貴紀ともそういう話はしておりました。で,1人だというと,先ほどから何回も出ているように,薬剤師不在の問題が出てくるわけですね。先ほどKさんは通しはないと言っておりましたけれども,Kさんによく薬剤師だから通しをするのが当たり前だと言われたといって,私に大分嘆いておりました。そのくせKさんは仕事が遅くて要領が悪いから夜遅くまで一緒にいなきやならんということで,どうしたら仲良くできるかねということで,Kさんとは余り馬が合わなかったような感じがいたしております。
2人薬剤師が配置されていれば,こんなに通し勤務がなくて,長時間労働にならなかったというふうに考えておられるんですか。
当然,そうです。
最後に裁判官に訴えたいことがあれば述べてください。
正直言ってよくここまで来れたなというのが実感です。あと,こんなことをしても正直言って貴紀は帰ってきません。ただ,非常に残念なのが,平成16年ですか,要するに仕事の過重でということで豊田労働基準監督署長から労災認定を頂いたにもかかわらず,会社は難癖をつけながら反省の色もないということは非常に残念でたまりません。今も憤りを感じております。それと,この裁判が始まったときに,長男が貴紀の過労死を風化させてはいけないということでホームページを開設しました。ちょうど二,三目前で2万以上のアクセスを頂いております。いろんな大勢の方のメールを頂き,薬剤師の方にも激励していただいております。ですから,この裁判はいろんな方が行方を注目しているということです。それと,もう一つ,最後に言いたいのは,要するにこの訴訟を機会に是非会社では業務体系を見直していただいて,二度と同じような悲しみを味わう親,家族の人が出ないようにお願いするとともに,人の命と同時に法の軽視ですね,先ほどから聞いていると,法を破っても当たり前みたいな,そんなふうに私は感じております。法を破ったらこういうことがあるんだよという警鐘を鳴らすためにも,ぜひ厳しい判決を要請いたします。
●16:25〜16:40-反対尋問- ページTOPへ
被告代理人(江坂弁護士)
なぜ貴紀さんがお亡くなりになったのが過労死だと思われたのかという質問を,労基署のほうからもされていると思うんですけれども,確信を持たれたというか,そのように思った原因は何になるんでしょうか。
先ほど言いましたように私も社長業をやっております。ですから,心の中ではものすごく否定はしてたんです。ところが今までの,例えば会社の態度とかいろんなことを踏まえ,また女房との常日ごろの電話等々を聞いていますと,そうならざるを得なくなりました。ただ,一番私が過労死かなと思ったきっかけは,要するに愛知警察のKという刑事さんの発言です。
甲A第6号証を示す
これはあなたの陳述書ですね。
はい。
同じ質問が2番でされているんですが,ここでは刑事さんのことというよりも,先ほど言われていたE店長の病院での言葉。
もちろん,そうです。
それとあと,ふだんの奥さんと息子さんとのやり取り,そこからそのように思ったと,ここに言かれていることはそれでいいんですか。
結構です。
奥さんと貴紀さんは毎目のように電話で話していたということでいいんでしょうか。
ほとんどかけてはいたんでしょうげども,出て会話するのが毎日ということではありません。
毎日かけてはいたかもしれないけれども,会話自体があったのが毎日かどうかは分からないということですか。
はい。私も仕事で夜遅く帰るときもありますから。
貴紀さんと奥さんがしゃべってみえるときに,あなたも聞いてみえることはあったんですか。
もちろん,ありました。
それは頻度としてはどうでしょう。
私の商売というのは出張も多いですし,いないことも多いんですけども,うちに帰るのが9時過ぎ,10時過ぎになっていましたもんで,どのくらいの頻度と言われても,そこはちょっと分かりません。
奥さんがお聞きになったことを,あなたに話をされたりということはあるんですか。
あります。
貴紀さんが残業が多くて大変だとか,そういう話をお母さんにされているということはお聞きになっていたんですか。
それは聞いていました。
それで,残業が多いとか残業手当のことはあなたが直接相談を受けたんですか。
そうです。それは直接。
どのように相談を受けたんですか。
E店長が,先ほどもKさんが言ったように,店が赤字だから今は残業手当が付けられないから,黒字になったら付けてやれるから頑張ろうなって言って,2人でS薬品をつぶそうとまで言って,私,その言葉を聞いてえらい過酷だなと思いながら聞いておりました。
それはいつくらいからそういう相談があったんですか。
Kさんとうまくやりたいということと同時でしたから,そうですね,いつごろかはちょっと明確には言えませんけど。
Kさんが永覚店に来た以降だということでいいですか。
そうですね。
その残業の様子についてはどのように話をされていましたか。どういう仕事をやってるとか,何時間くらい残業してるということは具体的に相談はなかったんですか。
そうですね。本人が言っていたのは,いつも寮に帰って,僕よりも早く寮に帰ってきている人のほうが,給料表を見ると残業手当がずっと多く付いていると,どうして永覚店は残業付けてもらえないのかなという疑問から始まったみたいです。
具体的に,いつもこれくらい残業やってるのにとか,そういう話はなかったんですか。
それは,そのときによって3分の1しか付いていないとか,5分の1しか付いていないとかいう数字は言っていました。
残業してやってる仕事というのは何をされてたんですか。
いや,何をしていたかは知りません。
それは聞かれてないんですか。
はい。
甲A第8号証を示す
これもあなたの陳述書なんですけれども,ここでは,資料の出どころは別にして,永覚店の状況について分析をされていますね。
分析と言いますと。
永覚店の経営状態ですかね,売上げが少ないということと客数も少ないということ,そのように判断をされているんですけれども,それは貴紀さんもそのように話をしてたんですか。
そうです。
客数が少ない状況で,貴紀さんがどういうふうに忙しく仕事をしていたのかと,そういう説明はありましたか。
仕事の内容については知りません。
仕事の内容はお聞きになってないんですか。
何をどうしていたかということは知りません。ただ,どうしたら利益が上がるか,本人は常にそれを考えていました。
奥さんから話を聞いて,貴紀さんの健康状態とかそういうものを心配はされなかったんですか。
してました。
それはいつごろくらいから心配になってましたか。
亡くなる前にうちに来たときに,おふろに入る姿を見て,非常にやせていたので,そういう話を女房とはしてましたけども,私は客間でテレビを見ていただけです。ただ,気にはなってました。帰った後にそんな話はしております。
亡くなる前に,最後に貴紀さんが自宅に来たのはいつですか。
ちょっと記憶ありません。女房に聞いてください。
残業をやってるとか忙しいとか体がつらいとかいう話は聞いていたんですね。
体がつらいというよりも,今言った残業手当の問題とかKさんとどうしたらうまくいくとか,私との話は,そちらのほうを優先して話していました。
経営のことを一生懸命考えていたということですか。
そういうことです。
甲A第42号証の1の1,2,甲A第42号証の2の1,2を示す
これは平成13年の2月に,貴紀さんにあなたが送られたものだということでいいですね。
そうですね。
この手紙の中身を拝見しますと,貴紀さんの体を気遣うような言葉とかそういうものは全く記載されてないんですけども,そのころは,あなたとしては貴紀さんの健康状態,そういうものに不安は余りなかったということなんでしょうか。
そのころは帰ってきてませんから,分かりません。
その前のお正月とかは帰ってきてないんですか。
お正月には来ました。
そのときはお会いされてますね。
ただ,もうそれこそ2日には帰っちゃいましたもんで,私はそういう話をした時間はなかったと思います。
帰ってきたときに,会って話をするということはなかったんですか。
もちろん,ありますよ。
甲A第16号証を示す
Eさんの労基署の聴取書ですが,これに添付されたお手紙のことを聞かせてもらいますけれども,一番最初に出されたのが13年9月29日ですかね。
はい。
このころは,貴紀さんが亡くなったのが過労死であるということを確信されていたんですか。
そうですね。
やはりその理由としてはふだんのやり取りと。
これに行くまでの遺恨がいろいろとありますもんで,人間の親としては当たり前だと思います。私はそういう気持ちで出したんです。
手紙を出されたときには確信をされていたということですね。
そうです,もちろん。
その確信に至った理由というのは先ほど言われたことですか。
そうです。
あなたとしては,内容自体は親として当たり前だというように考えてみえるんですか。
はい。今も同じです。
カセットテープを送られたのもあなたということでいいんでしょうか。
そうです。
一番最後のはがきもあなたが送られたものということでいいですか。
もちろん,そうです。
◎16:40〜16:41-補充尋問- ページTOPへ
裁 判 官
貴紀さんはどれくらいお酒を飲める方でしたか。
元来私どもの家族はお酒はあんまり飲めないんですけれども,Tと付き合うようになってからワインをちょこちょこ一緒に飲んでいたみたいですから,ワインをカップに1杯くらいは飲んでいました。うちへ来てもそれくらいは飲んで,おお強くなったなと言ったくらいですから。
御自宅に帰られたときに,あなたの前でもお酒を飲まれたことがある。
そうです。
その飲まれた後はどんな状態になってましたか。
別に変わっておりませんでした。
その後気分が悪くなるとか。
そういうことはまるっきりありません。
-終-
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