証人:原告 杉山ふじ江
○16:42〜17:05 -主尋問-
質問者:原告代理人 水野弁護士
●17:05〜17:15 -反対尋問-
質問者:被告会社代理人 服部弁護士
◎17:15〜17:16 -補充尋問-
質問者:裁判官
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○16:42〜17:05-主尋問-
原告ら代理人(水野弁護士)
甲A第62号証を示す
これはあなたがこの裁判所に出された陳述書に間違いありませんね。
はい。
甲A第3号証を示す
これは豊田労働基準監督署に出された嘆願書ですね。
はい。
甲A第4号証の2を示す
これも豊田労働基準監督署に出された書面ですね。
はい。
甲A第14号証の1,2を示す
これも豊田労働基準監督署に出された陳述書ですが,これらの書面にある署名押印はあなたのものに間違いありませんね。
はい,間違いありません。
貴紀さんが被告会社に入社される前の健康状態についてお聞きしますが,健康状態はどうだったんでしょうか。
すごく健康で,骨太のがっちりした筋肉質の体型でした。小さいときから足が速くて,運動会に行くのが楽しみなくらいの健康な子供でした。
スポーツはどうでしたか。
中学と大学はバスケットをやっておりました。
貴紀さんは永覚店でPOPとかポスターをよくかいていたようですが,書道や絵をかくことは得意でしたか。
はい,得意でした。
何か部活動のようなものをやっていたんですか。
小学校から中学校まで習宇の教室へ通っておりましたし,高校へ入りまして書道部にちよっと所属していましたし,絵をかいたり字を書いたりは大好きでした。私より字が上手です。
次に,この事件で問題になっているんですが,貴紀さんが店で履いている靴が悪くなるというようなことを言っていたことがありますか。
はい,あります。
貴紀さんはどういうふうに言っていたんですか。
お盆過ぎだったと思いますけども,帰ってきて,靴がぼろぼろになっちゃうということを言いましたので,薬剤師というのは,ドラッグストアで会ってもカウンターの中にいて,ただ立ってお客さんと話をしてお客さんに薬を提供するというふうにしか私は想像していませんでした。それなのにぼろぼろになると言ったときに,本当に驚きまして,どうしてそうなるのと聞きました。
それに対して,貴紀さんはどう答えたんですか。
そしたら店の中を走って仕事をしているって言いました。
どうして走って仕事をするというふうに言っていましたか。
やっぱりのろのろしてたら仕事がやりおおせないということは言っていました。
あなたは貴紀さんに,会社を辞めたはうがいいんじゃないかというようなことを忠告したことがありますか。
はい,そのときも言いました。薬剤師がそんなことをするんだったら,辞めてこっちに帰ってきて,調剤薬局か何かに勤めたほうがいいと言いました。
それに対して,貴紀さんはどういうふうに言っていましたか。
1年間は頑張る,1年たったら考えて辞めるつもりでいるとは言いました。
どうして辞められないかという理由は言っていましたか。
その理由は,店長がすごくいい人だ,あの人は信用できる人だって,大好きだ,あの店長のためだったらもっと頑張ってあげたい,店長はすごい大変な思いをしている,あんなに僕より年が多いのに頑張っているって,だから僕は今は辞めれないと言っていました。
店長大好きで,店長のためにも頑張りたいということを言っていましたね。
はい。
店長の性格については何か言っていましたか。
考え方がお父さんにそっくりで,頑張り屋で大好きだって言ってました。
次に,貴紀さんが亡くなられる2か月くらい前のことをお聞きします。平成13年の4月に貴紀さんは郷里に帰られたことがありますか。
はい,あります。
それは4月の何日でしょうか。
4月の21日に泊まって,22日の午後帰りました。
連休を前にして帰ってこられたんですね。
はい,そうです。連休にはTの実家へ行くから帰れないから,その前にちょっと帰るということで帰ってきました。
Tさんの実家にどういうことで行くということだったんですか。
結婚したいからお父さんに話に行くと言っていました。
婚約者のTさんの両親に会いに行くということで,連休前に帰ってこられたということですか。
はい。
そのときに貴紀さんが言っていたことで,今印象に残っていることをおっしゃってもらえますか。
店長のために,店長は僕より倍の年であんだけ頑張っていて,Mのほうから通っていて,あんな遠くから通っていて,それでもあんなに頑張っていると。だけど僕は店長の半分の年だって。もっとお母さん頑張ってあげれるよねって,店長めためにって。店長は異動するときおまえを連れてくからな,絶対おまえとー緒に行くからな,一緒に頑張ろうって言ってくれてるから,僕は店長目指すよ,僕は店長大好きだからと言っていました。
将来は店長を目指すということで,その模範というかE店長のようになろうということを述べておられたんですね。
言ってました。
E店長からは,何かそういう将来の励ましの言葉なんかは受けていたんですか。
それは病院で会ったときもそうでしたし,後からアルバイトの方とかパートの方とかも来てくださったときに,すごく店長が杉山君を褒めていたと,あれは店長になる素質がある,あいつはいいやつだってみんな言ってますよということは聞きました。それで,息子が亡くなったときに過労死じゃないかなって,あの姿を見たときに思いましたので,あるパートさんがお葬式のときに,こんなにいい子がなんで死んじゃうのって,かわいそうだって言っていた人を思い出しまして,2か月くらいたったときに電話しました。そうしたら,杉山君のことを店長はかわいがって褒めていたよっていう話を聞きましたし,息子も店長は信頼してました。
4月の21目,22日に帰省されたときの貴紀さんについて聞きますが,貴紀さんの身体状況について気付いた点はありましたか。
はい,気付きました。
どういう点に気付きましたか。
おふろから上がってきたときに,裸でこういう格好をしました。
ガッツポーズのような格好をしたということですか。
はい。すごいやせていました。
それに対して,あなたはどういうふうに言ったんですか。
すごいやせたねって私は言いました。そうしたら,10キロ以上やせたかなと言うもんですから,もうそれ以上やせないようにしないと,会社辞めたはうがいいんじゃないのって言いました。そしたら,もうちょっと頑張ってみるよって言ってました。
ふろから出たときの会話以外に,あなたが貴紀さんがやせたということについて感じた具体的な身体状況はありますか。
その日,私よりも早く貴紀は休みました。で,私たちの部屋の廊下を隔てて向かい側の部屋でベッドで寝ていました。私が寝るときにそっと部屋をのぞきましたら,左足がベッドから半分落ちていました。すごい足をしていまして,指と指の間に豆が出て,その指の上にも豆が出て,それが最近出たものじゃないように感じました。特に指が変形してましたし,どうしてこんな若い子がこんな足になっちやうのかしらって,そのときすごく思いまして,足を持ち上げてベッドの中に入れてあげましたけど,私そのときベッドの下で泣き崩れていました。
貴紀さんが寝ている姿を見て,やせたというふうに感じたことはありますか,
はい。そのときに目をつむって寝ていましたけれども,頬がこけていまして顔色がすごく悪かったです。頬がこけているところがこけた感じで薄目が開いちゃうんですね。それを見て私本当に涙が出まして,まぶたを閉じるようにしてあげて頭をなでました。
そういうことが21日の夜にあって,4月22日に貴紀さんは寮に帰られたんですね。
はい。
それは朝方帰られたんですか。
午後2時か3時ころだったと思います。
貴紀さんを見送るときに,あなたは貴紀さんに何か言いましたか。
もう会社を辞めなさいって言いました。そしたら,もうちょっとだけ頑張ってみるよって言いました。
貴紀さんは平成13年6月7日に亡くなっていますが,4月22日は最後の別れの日になってしまったということですね。
そうです。
今あなたはその日のことを思い出して,どういうふうに思いますか。
帰るときも,本当に抱きついてまで止めておけぱよかったと思いました。今も思っています。
乙第2号証の14を示す
これを見ますと,下の欄の5月の4,5,6が休みというふうに書いてあるんですが,これは正しいですか。
Tから聞いていましたけど,3,4,5だと言ってました。
休んだ日は4,5,6ではなくて,3,4,5だということですね。
はい。
甲A第23号証を示す
これは勤務ローテーション表ですが,4,5,6が当初の勤務ローテーション表では休みになっていたんだけど,実際には3,4,5と休んで,6日はCとなっているんですが,C勤務をしたということですかね。
はい。
その記載が正しいということですか。
はい,そうです。
それから,あなたは貴紀さんから栄養ドリンクを送ってくれという電話を受けたことがありますか。
あります。
それはいつか覚えていますか。
平成13年の5月14日です。
どういう電話でしたか。
疲れているから栄養ドリンクを送ってって,ドリンクの名前も言いました。
すごく急いでいるような様子でしたか。
はい。私は最初は急がなくていいのかなと思ったんですが,いつって聞いたら,今すぐ送ってって言いました。
それで送りましたか。
はい。それで,その日にあっちこっち電話を入れまして,一番早く着くのはどこですかと,郵便局やクロネコさんやいろんなところに電話しましたら,やっぱりヤマト運輸さんが一番早く着くということで,ヤマト運輸さんで15日に送りました。
乙第2号証の14,15を示す
これを見ると,貴紀さんは,乙第2号証の14では5月13日に休みになっていますね。乙第2号証の15によると,5月の2 3,24日が休みという記載がありますね。
はい。
これは正しいですか。
違うと思います。
甲A第23号証を示す
5月13日は,休みがCに,通し勤務に変更になっていますね。
はい。
甲A第24号証を示す
これによると,5月23日の水曜日はCですね。
はい。
それから,24日の木曜日はBというふうになっていますね。
はい。
今問題になっている5月13日,5月2 3,24日に,貴紀さんが出勤したか否か,Tさんには確認してますか。
確認しました。
Tさんはどう言っていましたか。
出勤したと言っていました。メモがあると言って,それを見て電話で教えてくれました。
A店の協賛セールは,5月17日から20日まであったんですね。
はい。
5月16日は,前日からホテルに泊まり込みであったということですね。
16日の夜,泊まりました。
5月18日から20日まで,あなたは貴紀さんからモーニングコールを頼まれたことがありますか。
頼まれました。
5月17日は,みんな一斉に出勤したからよかったわけですね。
はい。
その後は,寮から起きていくので,遅れるといけないからあなたにモーニングコールを頼んだということですか。
はい。
甲A第33号証を示す
10項のところに,貴紀さんが亡くなる前日の夜のことが書いてありますね。
はい。
その中ほどですが,「翌日は,薬剤師が一人になってから初めての平日休みだったのですが」とありますね。
はい。
ここにはTさんはそういうふうに書いているんですけれども,あなた自身もこの種のことを聞いたことがありますか。
はい。
それはいつ。
6月6日の夜11時15分ころです。
それは,電話か何か。
携帯電話がありました。ちょうど焼き肉を食べて帰るっていう電話でした。
そのとき貴紀さんは何と言っていましたか。
明日お休みだよって言いまして,ああ,そうって言ったら,薬剤師1人になってから珍しい,初めて平日休みだよ,買物に行くって言ってました。父の日のプレゼントを買いに行くということで,だから私が,平日ならどこ行ってもすいてるからいいねと言ったら,うん,すいてるから買物に行くつもりでいるからねということを,その平日休みで珍しいということを何回も繰り返していました。
そうすると,6月7日には,朝亡くなられちやったわけですが,Tさんと父の日の買物に行くということを予定していたということですか。
はい。
この事件で問題になっている5月28日は月曜日で,ローテーション表では休みとなってるけれども,そうすると,5月28日はウイークデーなんで,休んでいないということですかね。
出勤してると思います。
甲A第24号証を示す
5月28日,よく分からないんですけれども,もともとは休みであったところが,どうも消して,またくちゃくちゃと直してあるんですが,そういうことからすると,出勤してるんじやないかということですか。
はい。
遺品のことを聞きますが,Kmさんはロッカーの中から見付かったものがあるとおっしゃっているんですが,それはあなたは返してもらったことがありますか。
ないです。
それから,印鑑を1つ返したというようなことをおっしやってるんですが,そんなことはないですか。
全くありません。
最後に裁判官に言いたいことがあればおっしやっていただいて終わりにしたいと思います。
私は,2人の子供と家庭の幸せを願って白分の人生を掛けてきました。まさか私より先に子供が逝ってしまうなんて思ったこともありませんでした。今一番悔しく思うことは,大学を出たての,社会に出たばかりの世の中を知らない貴紀を死ぬまで過重労働させて,それで,まだなおかつ豊田の監督署長さんが認めてくださったにもかかわらず,いつまでもこのようにして遺族を苦しめている会社を,とても許すことができません。私たち家族にとっては何にも代えがたい貴紀でした。どうか裁判長さん,裁判官さん,公正な判決を望んでおります。よろしくお願いします。
●17:05〜17:15-反対尋問- ページTOPへ
被告代理人(服部弁護士)
貴紀さんには,よく電話をかけておられたんですか。
主人は毎日と言ってましたけど,せいぜい1週間に1回ですね。でも,通じたことはほとんどなかったですね。
大体何時ごろにかけられるんですか。
11時ごろにかけても,携帯も出なかったし,寮の電話も出たことなかったですね。
携帯電話と寮の電話,両方におかけになったんですか。
はい,両方かけました。
で,両方とも出ないと。
はい。だから,両方に留守電を入れるようにしました。
あなたの陳述書,甲A第62号証に,午後11時半前に寮に帰っていたことはほとんどなく,留守電に吹き込んでいました」というふうにあるものですから,寮の電話のほうにだけおかけになったのかと思ったんですが,そうではないんですか。
そうではないです。
留守番電話を聞いたというふうに電話があるのは,12時過ぎころなんだと。
そうですね。それも何回も留守電を入れといて,やっと1回たまにくるということでした。
だから,お母さんが週に1回くらいの頻度でお電話をして,留守番電話に吹き込む。その日に電話が戻ってくるとは限らないわけですね。
限らないですね。
そのまま電話がないままにずっと過ぎるということもあったわけですか。
ありました。
電話が12時過ぎにあったとき,陳述書によりますと,仕事なのと聞くと,そう,仕事が終わらないんだというふうなことを言っていたということですけども,大体遅くなったときの説明というのは,仕事が終わらないからということだけだったんですか。
そうですね。余り愚痴を言わない子でしたし,ほんとに人の悪□って言わない。
そういうことじゃなくて,仕事が終わらないということだけだったということですね,話としてはね。
はい。
例えば,店でアルバイトの子たちとおしゃべりをしていて遅くなったとか,店の人と食事に行って遅くなったとか,そういう話を聞いたことはありますか。
食事に店長と行ったことは2度ほど聞きましたけど,あとはそう詳しくは,男の子ですので,余りそんなにべちゃべちゃはしません。ただ用件だけで終わります。
説明がなくて,遅い理由は仕事が終わらないんだということですか。
はい。
Tさんとお付き合いされていたことは御存じだったんですね。
はい,もちろん知ってます。
当時,S薬局に勤務している薬剤師さんであるということも御存じでしたか。
はい,知ってました。
Tさんの陳述書によると,杉山さんと毎日仕事が終わってから行き来をしていたということのようですが,そういったことは御存じでしたか。
知ってました。
杉山さんがTさんの部屋に泊まることもあったようですが,それも御存じでしたか。
知ってました。毎日は知らないですけども,泊まるということは聞いたことはありました。
それはいつごろ聞かれましたか。
平成12年の10月か11月ごろですね。うさぎを飼うようになってからだと思います。
そのころから,そういうふうに部屋に出入りしていたということは御存じだったということですね。
はい。
例えば部屋にいなかったときの理由として,Tさんのところに行っていたから出れなかったという説明を聞いたことはありますか。
そういうことも一,二度はありました。
あなたの陳述書にはそういったことは全く記載されてなくて,仕事のことだったということしか書かれてないんですが,それはどうして記載されてないんでしょうか。
子供じゃないもんですから,そこまでいろいろあれして聞くこともないと思いましたし。
あなたの陳述書にそういうふうに聞いたことがありますという記載はないですね。
ないですね。
先ほど,靴が1週開でぼろぼろになるという話が出てましたけれども,この話を聞かれたときに,実際にぼろぼろになった靴は御覧になりましたか。
見ませんでしたけど,でも,はっきりそうは言ってました。
先ほどKmさんも話してましたけれども,貴紀さんは,スニーカーにこだわって履いていたということのようですが,御存じですか。
知ってました。
陳述書によりますと,8月のお盆過ぎに,スニーカーを3足買って戻ったということなんですが,このときも,高価なちょっとおしゃれなスニーカーを買って帰ってるということでしょうか。
そうですね。
あなたの陳述書とか,ほかにいろいろ書かれた中に出てくるんですが,平成12年11月ごろに,同期人社した人たちがもう半分近く辞めたというふうに貴紀さんが言っていたという話がありますね。
はい。
同期入社した薬剤師たちが何名くらいいたか,お聞きになったことはありますか。
全社員の人数は聞きましたけど,薬剤師の方の人数ははっきりは聞いていませんでした。
あなたがここで書いていらっしやる同期人社した人たちというのは,薬剤師さんという意昧ですか。
いや,一緒に人社した人たちだと,新入社員だと私は解釈しました。
陳述書を見ますと,続けて,「薬剤師の資格を持っているのに,普通の従業員の人達と同じ仕事ばかりさせられるので,馬鹿らしくなるんじゃない?」という,半分辞めた理由と思われることが記載されてるんですが。
それも言ってました。
その流れからすると,同期人社した人たちというのは,薬剤師さんのことを言ってるのかなと思うんですが,それは違うんですか。
薬剤師の方もいたんだろうと思います。
あなたとしては,同期人社した人たちというのは,薬剤師さん,薬剤師さん以外の方,全部含めてということで貴紀さんは言ったんだというふうに考えた。
言ったんだと思います。
平成12年11月当時。貴紀さんと同期入社の薬剤師さんが44名おりまして,その中で,この時点で退職してた人は,こちらの調査によりますと2名しかいないわけですが,そういった趣旨のことを貴紀さんから聞いたことはありませんか。
そこは聞いてません。
平成12年12月のところで,ボーナスの査定で店長が全部A判定をくれたというふうに貴紀さんが言っていたという記載がありますね。
はい。
スギヤマ薬品は,1年目の新人社員はボーナス査定はしないことになってるんですが。
そうなんですか。でも,そう言ってました。
あなたは貴紀さんが言ったことをそのまま信用したということですかね。
信用したというのかしら,そう言ってたことは間違いないです。
1年目だから査定はつかないけれども,2年目以降でもし査定をするんだったらAだとか,そういうふうな話ではなかったですか。
長くなりますが,お話ししてもいいですか。
そういう話かそうじゃないかということだけで結構です。そういうことではないわけですね。あなたが陳述書に記載されたとおりの話を聞いたと。
そう言ってたことは,私は本当に聞きました。
陳述書の中に,平成13年の2月ごろにステーキ肉を送ったという記載がありますね。
はい。
そのときに,貴紀さんが,1枚食べたけど,もたれっこいので2枚は冷凍してあるというふうに言っていたという記載がありますけれども。
はい,言ってました。
藤田保健衛生大学のカルテによりますと,貴紀さんは胃の調子がずっと悪くて,吐き気などを催していたというふうな記載があるんですけれども,そういった胃の状態に貴紀さんがあったということは御存じですか。
いえ,知りません。
だから,あなたもこれは,あなたの記憶として以前はお肉が好きだったのにということで,おかしいと思ったというふうになるわけですかね。
そうですね。
◎17:15〜17:16-補充尋問- ページTOPへ
裁 判 官
先ほど,貴紀さんが仕事が終わらないから大変だということを言っていたということなんですが,具体的に何が大変だと言ってたか,覚えてることはありますか。
それは,Kさんが来てからです。Kさんの仕事が残っちゃう,だから結局自分が帰れないから,それに付き合って一緒に手伝わなくちゃならないからとよく言ってました。
その仕事というのは,具体的には中身は聞いてないですか。
具体的には私も聞きませんでした。
陳述書には,POPの絵をかいたり,看板を作ったり,大変だというふうに。
それもやってたと思いますし,いろんな重いものも持っていたと思います。
それは先ほどちょっとお父さんのほうからもお話があったんですけど,お店の赤字解消のための努力であるということで聞いていたんですかね。特にそこらへんは聞いてないですか。
お店の売上げが悪いからどうしたらいいかという相談は,主人にはよく電話をかけていましたし,それで私も,ドラッグストアをあちこち見に行って,どんな方法を採ってるんだろう。薬剤師さんはどんなんなんだろうというのを見て,息子に電話で言ったこともあります。こういうアイデアがいいじゃないとか,何日がポイントが何倍になるみたいよとか言ったら,それはもうとっくにやってるんだけど売上げが上がらないよとかは言ってましたけど。
-終-
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